帰り道、荒川はいった。

「どうでしたか、中学二年生の天才トレーダーの印象は」

「おれの周りにはああいうタイプの人間はいなかったから、正直なんていったらいいのかわからないが、なにかに特化しているやつはなにかが欠落しているのだろうな。ハジメにはそんな印象を感じた」

「そうですね。ハジメ君は生まれた時から裕福な家庭で育てられ、その裕福の根源であるビジネスについても生まれた時から叩き込まれてきた人間です。自分ひとりではなにもできないくせに親の財産が自分の力だと勘違いするボンボンと違い、ハジメ君は親のトレーダーとしての資質を持ち合わせて、現に今は、彼が裕福の根源を生み出しています」

「だが、マーケットの世界には絶対はない。今は景気が良くてもハジメの手法がこの先どうなるかもわからないし、もし、金がなくなったとき、あいつはひとりぼっちになるだろうな」

 

制覇の視界3-4荒川は視線をまえに向けたまま顎だけこくりと落とし、頷いた。

「そうですね。わたしもそうだと思います。先ほどは銀行のお恥ずかしいお話をさせていただきましたが、わたしはハジメ君に出会うまで、銀行では落ちこぼれ組みの一人でした。きついノルマに、あたりまえのサービス残業。銀行は年功序列の世界だとよく言われますが、内情はそうではなく、やはりうえに上っていくにはそれなりに要領というものが必要なんです。私はハジメ君から大口の預金を獲得し、定期預金の契約までいただきました。それからは手のひらを返したように支店長の態度は変わり、会社での立場も変わりました。
だから、わたしにはハジメ君に恩があります」

支店長の顔色を変えるほどの預金額が銀行に投入されたのだろう。そしておれはその埋め合わせに利用された。だが、それはお互いの利でもある。おれもやつに興味があったのだから。それに断わろうと思えば簡単に断われたはずだ。

おれは中学二年生のガキと同じことをいった。

「あんたもいろいろと苦労してるんだな」

皮肉な笑みを浮かべる荒川の視線の先を追った。小店にはさまれて、砂利と雑草の散らばる空き地が見えた。誰かが種でも撒いたのだろうか、有刺鉄線のむこうに鉛官のような青白いひまわりが背を伸ばしている。重そうな花はうなだれて地面に顔をそむけていた。

 

雇用統計を終えたばかりのマーケットはニッパチの凪にはいってしまったかのように動きをとめていた。初月の大型イベントのあとは重要な指標も用意されていない。材料がなくなるとこうもマーケットが静かになるのだとわかった。ゆるやかな下り坂をじりじりとすすむ火の消えた機関車のように重たい足取りで値をさげていく。この二ヶ月間は下げの波がくることがあっても一、二週間で反転の上げ相場がやってきた。おれとしてはゆるやかなうねりのある相場のほうが、リズムを拾いやすく手数も増やせるので好都合だった。こう潮目が一方的になると打てる手が限られてしまうのだ。おれには資金の余裕もなかったし、相場を見ていることしかできない。

しかも今回の下げ波は、雇用統計発表時につけた103円を切り、何の反転もなく徐々に値をおとしているだけだ。

手を動かしたくても打つ手がない。チャート画面にサポートラインとレジスタントラインをいくつか引いて、ブレイクポイントを探ろうとするが、絵に描いたようなレンジ相場が長々と続くだけで、エントリーポイントの判断がまるでつかない。時には勘とセンスが必要な時もあると荒川は言っていたが、その勘とセンスも働かないし、なぜか無機質な相場チャート図を見ている感じがするだけだった。

部屋にこもって考えても埒があかないので、おれは外にでることにした。今は便利になったもので、外出先でもスマホ一台あれば、通貨の売り買いはどこでもできるのだ。

 

そろそろ夕方で、ジャングル公園は夜の顔になりかけていた。昼と夜が違うように、ジャングル公園の人柄も昼と夜では異なる。昼は学生や主婦、年寄りが暇をつぶす公園が、夜になると若者一色になり、どこかでだれかのパフォーマンスが始まる。社会人になれば好きでもない仕事を一生やるんだから、こんなときくらい好きなことをしたいってガキの気持ちはよくわかる。

おれは公園のベンチに座って、そんなやつらを眺めてるのが好きだった。

しばらくベンチに座っているとスマホが震えた。八月二週目は猛暑日が続き、熱中症で倒れるやつが続出しているとニュースで流れていたが、夕方になるとだいぶん気温は落ちつく。ジャングル公園のベンチ側は鬱蒼とした木岐が並んでいるからこの一帯の気温はさらに下がる。猛暑日なのにTシャツ一枚だとちょうどいい夏風を感じられるのだ。

おれは馴染みの声を聞くためにスマホを耳にあてた。相手はタクマだ。

 

「どうした」

「ムネさんがジャングルいるって聞いたんで、まだいるならおれも顔だそうかなとおもって」

「ああ、まだいるよ。店は大丈夫なのか?」

「九時から予約がはいってるっすけど、それまではいまのところひまっすね。仕込みもすんで、時間もてあましてるっす」

「そうか。それなら待ってるよ」

「りょうかいっす。すぐ行くんで、なんか飲み物でも買っていきますね」

「わかった。ありがとな」

 

電話を切ると、すぐに着信があった。スマホに表示された番号に見覚えはないが、とりあえず応答した。

「もしもーし、本ちゃーん、元気」

間延びした声が聞こえた。声の主は確認しなくてもすぐにわかった。十四歳の天才トレーダーだ。

「おまえ、なんでおれの番号知ってんだ?」

「そんな細かいこといいじゃない。本ちゃん、ジャングル公園いるでしょう。右見て、右」

いわれた方向に振り返ってみると、見覚えのあるツーブロックの金髪。ダメージジーンズの短パンに片手を突っ込んで、スマホを耳にあてるハジメがいた。

 

「おまえこそ、なにしてんだ、そんなところで」

「ダチに買い物頼んで、待ってたら、本ちゃん、発見。それで電話したんだよ」

近づいていって、どこでおれの番号を手に入れたのか問いつめてやろうかと思ったが、こんな大勢のまえで、中学生相手に恫喝してたら男がさがる。相手にするだけこっちが損をするだけだ。

「それで、用件はなんだ」

「いまからダチと飲みいくんだけど、本ちゃんも一緒いかない」

「いつからおれとおまえは一緒に飲みにいけるような仲間になったんだ。それにおまえはまだ未成年だろうが」

「また、そんなこという。冷たいな」

「それにおれもいま、おまえのいうダチと待ち合わせ中だ。また今度相手してやるから、ガキはさっさと帰って勉強でもしてろ」

 

そういって一方的に通話を終了した。はあっとため息が漏れる。すると背後からタクマの声が聞こえた。

「ムネさん、おつかれっす。どうしたんすか、ガキは勉強でもしてろって」

「おう、タクマ、いやあっちに・・・・・・」

一度、タクマのほうを振り返って、またハジメのいた場所を指差そうとしたら、やつの姿がなかった。

「・・・・・・あれ? どこいったんだ、あいつ」

「なんかありました?」

「いや、なんでもない」

「はい、ムネさん、ブラック無糖っす」

「サンキュー」

「なんかひさびさっすね。ムネさんとこうやって公園のベンチで一息つくのって」

 

タクマがベンチに座って、同じ缶コーヒーのプルトップをあける。おれも横に腰をおろした。目のまえの円形広場の中央で数人のガキが、おれを見てくれといわんばかりのブレイクダンスを披露していた。

「そうだな。最近、どうだ店の調子は」

「あの双子の一件依頼、結構繁盛してるっす。お客さんにムネさんの話題よくふられるっすからね」

「そうか、それはよかったな」

「ムネさんこそ、最近はどうっすか?」

「おれは今、FXに夢中になってるよ」

おれはそれから、荒川との事、オガワハジメとの事を、順をおって説明した。

 

 

「へー、おれの知らないあいだに、そんなことがあったんすね」

おれの話を聞き終えたタクマはそういった後、一気に缶コーヒーを喉に流し込んだ。町はすっかりと暗くなり、あちこちの電灯が白く光っていた。

「ハジメはまだガキだが、あいつにはおれやおまえにないなにかをもっている。それがなにかといわれれば今のところはわからないが、不思議な感覚と感性は感じる」

「ムネさんがあんまり人を褒めることなんてないっすからね、そんな凄いガキなんっすか」

「いや、別に褒めてはない」

「でもムネさんが気になるってことは、よほどっすよ。おれいままでそんなこときいたことないっすもん」

「そうか、おれはおまえのことは気にかかってるよ」

「またまたぁ」

そういって、二人で顔をあわして、笑った。

昔から知っている気の合う仲間と、こうやって肩を並べて談笑するのも、たまにはいいものだ。

「そういえば、タクマはどうなんだ、FXのほうは?」

「いや、それがっすね・・・・・・」

 

タクマが視線をまえに向けたまま言葉をとめた。視線の先を追うと、中学生のハジメが小学生に見えるほど、体格のいい男がふたりでこちらにむかってきていた。身長は百八十ちょっと、腕は肉体労働者のようだ。血管がうきあがっている。ハジメが手をふった。

「本ちゃん、まだいたんだ。よかったら、おれらと飲みいこうよ」

二人がおれたちの座るベンチの前まできた。

「なんだ、斎ちゃんもいたんだ。サダ、この人がさっきいった中山兄弟を秒殺した本ちゃんだよ」

サダと呼ばれた男がおれを真上から見おろす。酔っぱらっているのか顔が少し赤い。

「ふーん、こいつがですか。そんなに強そうには見えませんけどね」

中学二年生に敬語を使うサダ。どうみても十代にはみえない。

「おまえもこいつみたいにちゃんと敬語を使えるように勉強しろ。さっきいっただろ、ガキはさっさと帰って勉強でもしてろって」

 

制覇の視界3-5おれがそういうとタクマが笑い声をあげた。いい大人が中学生に敬語を使う様はみていておもしろいものだ。

「ハジメさん、こいつらやっちゃっていいですか?」

おれも笑いをこらえきれなかった。その様子をみてサダは頭に血がのぼったのか赤い顔がさらに赤くなっていく。おれはいう。

「おもしろいな、おまえのダチは。どこで売ってるんだこんなダチは」

ハジメは最初は無表情でおれとタクマの顔を交互にみると、にっこりと笑顔を作ってからいった。

 

「本ちゃんがあんまり馬鹿にするもんだから、サダが怒っちゃったよ。どうするバトル開始してもいい?」

「やめとけ、こいつ酒飲んでるんだろ、この前の双子のリプレイになるだけだぞ。おまえの兵隊がまたいなくなるぞ」

「う~ん、でもさ、サダも結構やるんだよ。サダつれてると、みんなが前をあけてくれるんだ」

「そうだろうな。見た目だけは強そうだもんな。中身はすかすかだろうけど」

サダが殺意をあらわに声を荒げる。

「ハジメさん、おれそろそろ我慢できなくなりますよ。早く号令かけてくれないと」

タクマが横からいう。

「ムネさん、やるんなら、この前みたいに」

大勢の前で双子に制裁を加えたあと、タクマは繁盛した。その甘い汁の再現をしたいのだろう。おれはいった。

「タクマ、こいつじゃ、あの時みたいにならない。せめて、こいつみたいなのがあと十人はいないと」

「えー、こいつそんなに弱いんすっか」

 

「立て、おらー」

サダはもう我慢ができないようだった。だが、ご主人様の号令がないから声をだすことしかできない。

「ハジメさん、お願いしますよ。こいつやらしてください」

どれだけハジメからおいしい汁をすわせてもらっているのかわからないが、忠実な番犬だった。

おれは立ちあがった。

 

「たく、しょうがねえな。ハジメ、バトル開始していいから、これ終わったらちょっと付き合え」

「うんうん、どこでもいくよ。ほらサダ、号令いくよ。ゴー」

「中山兄弟がなんぼのもんだ」

号令の合図とともにでかい拳を握り締め、殴りかかってくる。あー、こいつはダメだ。アクションがでかいうえにどこを狙ってくるかすぐにわかる。それに力はあるが明らかに蠅のとまるようなパンチ。おれの腕の二倍はある腕。そいつを蛇のようにやつの腕に巻きつけ、顎の横にカウンターで右拳が突き刺す。やつはその場に垂直に落ちた。いいパンチが正確に急所を打ち抜くと、人は吹き飛んだりしない。ただその場に崩れるのだ。トランプを積んだタワーみたいに。

 

 

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