髪はおかっぱ、度の強い眼鏡、色白のやせっぽっち、無口だが、いつもなにかぶつぶつと独り言を言っている。銀行員の荒川から勝手に想像したおれのオガワハジメの印象だった。もちろんそれはおれの勝手な想像で、実際は違った。学生時代、一番前の席で眼鏡をかけている生徒は頭が良いと勝手に判断するのと変わらない。

髪は金髪のツーブロック、目は細く、日焼けしていて小太り、万引きをして補導され、先生を手玉にとる常識知らず。世の中の出来事は金で何でも解決できると信じ込み、周りの大人をなめてかかる態度。簡単に言えば、世間知らずのクソガキ。それが実際のオガワハジメだった。

初対面の印象は最悪だが、荒川も言っていた。オガワハジメには闇の部分がある、と。
タクマにも今日聞いたばかりのオガワハジメの新鮮なネタを話してやる。話を聞いたタクマは飲みかけのマティーニをおれと同じように落とした。サエコが慌ててカウンターを拭く。

「もう、二人ともなにやってんのよ」

タクマも驚いた顔をしている。

「ムネさん、その荒川って人に騙されてません?」

そう思われても仕方がない。だが、あの時の荒川の目はその場限りの嘘をついているようには見えなかった。別におれは刑事ではないが、タクマの店の荒事を担当するようになって、いろいろなやつを見てきたせいか人が嘘をつくときは目の奥の色をみればだいたいわかってしまうようになっていた。

「いや、多分、嘘はついていないと思う。でも荒川は、オガワハジメにはなにか問題があるような発言はしていた」
タクマはなんだかおもしろがってる風だった。

「中学生なんてちょうど反抗期と思春期が重なる時期っすよね。見た目だけでも背伸びして、大人ぶってた時期あったっすね。おれも大人からはあんな風に見えてたのかな」

「そういう時期もあるな。でもあのガキは億の取引をするトレーダー」

「そこが信じられないっすけどね」

生まれた時から天才なんて呼ばれる奴はいない。多少の才能や感性の差はあるかもしれないが、他人より秀でた部分というものはそこに必ず努力が存在する。

「何事も見た目では判断できないということだな。おれは少しあのガキに興味が湧いてきた」

「それはいいすけど、変なトラブルに巻き込まれないでくださいよ。ムネさんはうちの店のトラブルシューターなんすから」

こうしておれはいつも自分からトラブルにはまっていく。それにしてもなぜトラブルの最初のひと口はあんなに甘いのだろうか。あとでどんなもめごとが待っているにせよ、誰だってそこでとめるわけにはいかない。危ないけれど魅力的な女みたいだ。

 

 

それからの二日間、自分の部屋にこもって、FX関連の書籍を読みあさった。一晩で七百万を稼いだり、中学生が億の取引を行う世界に単純に興味が湧いたのだ。
FX関連の表紙は、簡単に稼ぐ、楽して稼ぐ、一日数分で稼ぐ、とまるで労働者への悪魔のささやきに近い謳い文句ばかりが連なるのと、それを否定する書籍が半分ずつ置かれていた。初心者のおれにはどちらが良いのかわからないので、とりあえず部数が売れている肯定と否定の本を一冊ずつ買った。

本で得た知識では為替の取引テクニックとしてテクニカル分析、ファンダメンタルズ分析、マネージメントをつかったトレード手法が多く書かれている。テクニカル分析でトレンドを把握し、ファンダメンタルズ分析でトレンドの転換点を探し、マネーマネージメントにもとづいて取引を行うことがFXでの基本取引と記されていて、おれにはまるで意味がわからない言葉が並ぶ。単語ひとつひとつを理解するために、知らない単語をインターネットで検索をかける。特にローソク足にはいくつもエントリーチャンスがあり、足型には何パターンもの解説がある。FXをやっている奴はみんなこれを全部覚えているのかと関心したが、タクマに聞いてみたところ、なんすか、それ?と言われた。

制覇の視界1-11為替市場は細かい市場を合わせると八十国近くの市場があるが、その中で東京市場、ロンドン市場、ニューヨーク市場の取引が主に活発で、世界の三大為替市場と呼ばれている。これはどの書籍にも書いていたことだが、やはり為替を知るには、取引を行うことが一番大事で、そのなかで経験を積むことで、自分なりの手法と組み合わせをつくることが一番の勉強みたいだった。こうやっておれは知識だけを蓄えていく。為替を知るための勉強法がこれであっているのかはわからないが、今おれができることはこれくらいしか思いつかなかった。

人間のもつ資質のなかで、きちんとものごとを待てるというのは、かなり上位にあるものだ。あきらめないで、待つ。別になにもしなくてもいい。待つだけで、事態がかわることもある。
翌日の朝、おれの頭には目をさましたとたん、ひとつの言葉が輝いていた。

(私はよくこの喫茶店で時間つぶしています。今度はこういったかたちではなく、同じマーケットで戦うものとして、また出会えたらなと思っています)

荒川がいる時間帯はわからない。もしかしたら今日は喫茶店には来ないかもしれない。それでもおれはジャングル公園の前の喫茶店に足を運んでいた。
無口なマスターにアイスコーヒーを頼んだ後は、窓から見える通行人をぼんやりと眺めて午前中を過ごした。強い雨、弱い雨、霧雨が交互に続いていた梅雨がやっとあけたとおもったら気の早い台風が九州に接近中だった。本体より先に余波が届き、分厚い雲が大分の空にびっちりとふたをしていた。雨は降っていなかったが、傘を持って歩く人が多かった。おれはこうやって人を眺めているといつも思うことがあった。人の欲望がみえたらどんなに楽なのだろうか。人の心の底にある一番ひそかな欲望。その人間がそいつ自身にする誰にもいえない欲望が、例えば額の小型ディスプレイに映るのだ。液晶のサイズはスマホの五インチくらい。もっとちいさいサイズでもいいかもしれない。高精細で性能がいいパネルなら、それで十分。

府内町にあるトキハ会館の一階は高級ブランド店が並ぶフロア。乳白色のイタリア産大理石の通路。腕を組んで歩いているのは、五十すぎの身なりのいいおやじと若いキャバクラ嬢だ。おやじの額のディスプレイには、はちきれそうなキャバ嬢のFカップ。ブラは紫のレース。谷間の深さは頭からダイブしたら溺れるくらい。キャバ嬢の額にはピンクゴールドの華奢な腕時計がバックライトできらめいている。ベゼルに細かなダイヤモンドをうめこんだカルティエの新作だ。

高級ブランドのカウンターで接客するすまし顔の美人は、額に湯気のあがるちぢれ麺の担々麺を表示している。五階のレストラン街にある麺府の担々麺だ。そろそろ閉店間際で腹が減っているのだろう。三人は相手がなにを心の底でもとめているのか、お互いが理解している。それがあたりまえの世界なら、きっとジュエリーウォッチも、でかい胸も、麺類ものも別にはずかしくはないだろう。どれも、実にまっとうな欲望なのだ。おやじは金のカードで腕時計の代金を支払い、女の額のディスプレイはその瞬間エルメスのクロコダイルのバーキンに表示を変える。コメディ映画の一シーンとしても、悪くない話。だが、それほどすべてがあからさまな世界で、もし犯罪とされるような禁じられた欲望が額のディスプレイに映ると街はどうなるのだろうか。誰かの手足がちぎられていく場面や、誰かが刺され、撃たれ、絞められる場面の数々。あるいは少年の桃のように産毛を浮かべた丸い尻や、アニメのキャラクターがプリントされた幼児用下着の盗んだコレクションなんか。衝撃の禁断映像だ。それでも平気な顔をして大分の街を歩けるだろうか。自分がロリコンであるとはっきり額に表示しながら。
おれが空想にふけっていると、後ろから声がかかった。

「本間さんじゃありませんか」
声のほうに振りむくと、銀行員の荒川だった。

 

 

「あんたを待ってたんだ」

今日の荒川は怯えた表情ではなかった。にっこりと笑顔を作っていて、優しい目をしている。

「私の言ったとおりになりましたね。あなたとはまた会う気がする。そして今度は同じ土俵で戦う仲間として。本間さんも始めましたか」

 

参考書を買って、ただ目を通しただけなのだ。それで同じ土俵に立っているのかはわからない。おれは肩をすくめた。

「いや、おれはまだ取引を始めてもいないし、実際、口座開設すらしてないよ。ただFXに興味をもった。それでいくつかの参考書を買って、それなりに勉強はしたつもりかな」

荒川の表情は大きくなった。はっきりと笑っている。

「でももうすぐ口座を開設する。そして遅かれ早かれ取引を開始しようとしている。考え始めるということは門をたたいて入り口を通ったのとかわりません。それで私を待っていた理由とはなんですか?」

荒川と出会ったとき、まさか自分がFXに興味を持つとは思ってもみなかった。だが、実際に荒川の言う通り、おれは口座開設を行い、取引を行うことになるだろう。

「おれが荒川さんに訊きたいことは二つ。荒川さんのこの後の予定は?」

「前にも言いましたが、私はここでよく時間を潰しています。この後は夕方までゆっくりとコーヒーでも飲もうと思っていました」

「そのコーヒータイムに、おれが邪魔じゃなければ、席は一緒でもいいかな?」

「もちろん」
そういって荒川は、アイスコーヒーを注文した後、おれの前に座った。

 

「FXを始めるのに、まずはどんな勉強をしたらいいんだろうか? おすすめの書籍なんかがあったら教えてほしい」

目のまえでソファにくつろぐ荒川を見た。人間とは不思議なもので、自分の中で絶対的な答えがある場合、目に強い光を宿す。どこがおかしいのだろう、にやりと笑うといった。

「無駄ですよ。自分なりの感覚ができるまでは、無理に知識だけ詰めこんでも、百害あって一利なしです。マーケット感覚というのは焦ってできるものではありません。どんな勉強が効果的か、それならまずは日経新聞を毎日みることをおすすめします」

書店に並ぶFX関連の書籍を否定する。どういう意味だろうか。それなら書店で何十万部と売られている指南書はあることないことを書き綴ったでっちあげの内容なのだろうか。それに新聞を読んだところで、FXの知識を得ることができるのだろうか。

 

制覇の視界1-12荒川が届いたアイスコーヒーに手を伸ばした。ひとくち口をつけてからいう。

「まずは世界のマーケットで戦うための準備をしておくことがこの世界では必要不可欠です。書店に並ぶFX入門書やテクニカル分析を使った手法をいくら頭に詰めこんでも、それはマーケット参入者が一番最初にすることであって、この世界は一年で九割の人間が退場するといわれています。まずは世の中の経済の動きを知る事で、その変化でどう為替が動くかを知る事が大事です。そしてそれを毎日続ける・・・・・・」
おれはコーヒーをひと口すすって、ゆっくりと待った。

「結局のところ、最初は無意味かもしれないと思ってもそれを淡々と続けた人が勝つように世の中はできています。それは根性論とかではなく、毎日続けることで、正しい方向に進路を調整することができるからなんだと思っています。続ければ続けるほど、自己と市場への理解が深まるので、外しにくくなるものです」

おれはいままで新聞はテレビ欄しか目を通したことがなかった。いきなり経済新聞を読めと言われても、困ってしまう。そして、その初めてを習慣化すること。それがFXでは一番最初に大事なこと。それに世の中の経済のことを、おれはほとんど知らない。だからおれはそのまま質問してしまう。

「経済って、なに?」

荒川はふふふと笑うと、いう。

「本間さんは、本当に面白い人ですね。基本的な質問ですが、返事には困ってしまう内容を問いかけてくる。私なりの経済への分析ですが、人間が生きていくために必要な物資や資源、それに紙幣などを、獲得したり利用したりする活動すべてのことですかね。いいわけではありませんが、世界中でおこなわれている経済活動のすべてを把握し、理解している人間はひとりもいません。どんなに優秀な学者でも、それは無理なことだと思います」

「なるほど」

おれはそううなずいたが、話の半分もわかってはいない。とりあえず経済新聞を読めと理解しただけだ。

「それにマーケットの戦い方はひとつではありません。本間さんはスワップポイントをご存知ですか?」

書店で買った入門書にスワップポイントの説明がいくつかあった。いわゆる金利差で利益を出していくやり方だった。だが、詳しくは理解していない。ちょうどいいので、知らないとおれ。

「日本円は世界通貨のなかでダントツの低金利通貨です。円のような低金利の通貨を売って、高金利の通貨を買うと、その金利差分をスワップポイントとして、毎日受けとれます。私もスワップ金利目的で、豪ドル・円のポジションを所有しています。例えば一万通貨の豪ドル円を持っていた場合、為替差異とは別に、円を今の価値で計算すると毎日八十円のの利益がでます。保有通貨量が多ければそれに比例して、得る利益も増えます。これがスワップポイントの仕組みです」

あらかたの説明は荒川も入門書も変わらない。一万通貨の保有で一日八十円の金利がつくのなら、銀行にお金を預けるより、金利を得るならFXのほうが効率的だった。

 

荒川は続けた。

「ただし、スワップ金利目的でポジションを保有する場合、変動リスクと政策金利に注意しなければいけません。それに比較的中、長期で保有することが多いので、レバレッジもそんなにかけれません。私が持っている豪ドル円のレバレッジは二三倍程度です」

一万通貨保有で一日八十円。十万通貨保有で一日八百円、百万通貨保有で一日八千円。単純な計算だが、一日八千なら、日雇いの日当と変わらない。百万通貨を持てるだけの資金があれば、スワップポイントでだけで、年に三百万近くの利益を出すことができる。これなら入門書に書かれていたキャッチコピー通りだ。寝てても稼げる。この計算通りに物事が運ぶなら、ある意味、権利収入と変わらない。

おれは口をはさんだ。気になることは黙ってられないのが悪い癖ともいわれることもある。

「荒川さん、百万通貨のポジションを無理なく持つにはどのくらいの資金が必要なんだ」

荒川はさすが銀行員だった。数字の強さをはっきりさせる口調だった。

「通貨にもよりますが、もしドル円でいうのなら、ドル円は百円付近で停滞しています。

一万通貨を保有する場合、レバレッジ二十五倍で四万円、五十倍で二万円、二百倍で五千円、四百倍で二千五百円、八百倍で千円となります。この計算はレバレッジを最大限利用した場合です。百万通貨を持つ場合、二十五倍のレバレッジなら約四百万円、それを無理なく持つのなら、資金はその十倍を目安にするといいと思います」

レバレッジ二十五倍で、無理なく持つなら四千万円。低所得のおれには一生かかっても貯めることのできない金額だった。だが、レバレッジを八百倍にできるのなら十万円。その十倍で百万円。それなら現実味のある金額だった。もしかしたらおれはFXで儲ける必勝法を見つけたのではないだろうかと思った。
また荒川はおれの表情から考えを察したのだろう。にやりと笑っていった。

「本間さん、レバレッジをあげてスワップポイントで稼ごうと考えていますね。でもそれは初心者が最初に考える甘い考えですよ」