煌びやかな店内のPerfumeとは対照的にブルーの店内はどこにでもあるよなBarだが、バーテンダーは女性だった。カウンター席が四つとテーブル席一つのこじんまりした店。照明が基本的にキャンドルのみでお店が適度に暗い。バックバーのウィスキーなどのボトルの前に、ひとつひとつボトルの名前と価格を自然に表示してある。必要のないものだと異論を唱える人もいるだろうが、おれみたいなウィスキー初心者にとっては非常にありがたかった。第一、お客のすべてがウィスキー飲みやマニアというわけではないのだ。それにリキュール類にはライトが当てられて薄暗い店内に光り輝く存在として整理されている魅せかたも女性らしさのセンスを感じる。長髪をうしろで束ねたバーテンダーのサエコが笑顔でいう。

「タクちゃん、今日は早いね。ムネちゃんも一緒なのね」
時刻は真夜中の零時前。タクマの店の閉店時間は二時。タクマは、仕事終わりはほぼ毎日顔をだしている。タクマは含み笑いをしてこたえる。

「マイを店に残してきてるし、今日は新メニューもできたんだ。サエコにも今度食わしてやるよ」
サエコはきっぱりという。

「結構です」
そういってすぐにくすりと笑った。タクマもつられて白い歯を見せた。

制覇の視界1-9「タクちゃんの料理はおいしいから私いっぱいたべちゃう。また太っちゃうんだもん」

「そんなことないよ、今回のはカロリー控えめ。それにサエコは線が細いから少し脂肪つけたほうがいいんだって」

「また、そんなお世辞言って」
いつもの掛け合いだった。Perfumeとブルーはほぼ同時期に店が開店した。タクマはサエコとは同期みたいなものだといつもいっている。

「二人ともパナシュでいいよね」
サエコはおしぼりをカウンターに二つ置く。おれとタクマはそれに倣うように椅子に座る。タクマがいう。

「ムネさん、今日は元気ないっすね。なんかありました?」
普通にしていたつもりだったが、商売柄か顔の表情の変化に敏感だ。タクマに隠し事はできない。

「じつはな、今日の昼間タクマと別れた後、ある銀行員にFXの話を聞いた。そいつの話によると、タクマの取引はもっとも危険な方法だという」
タクマは意味がわからないという顔をする。

「なにが危険なんすか?」

「FXは一発勝負の場所ではないといわれた」

「そうはいっても、実際、七百万の儲けをだしてっるすよ」
サエコが無言でカウンターにコースターを差しだした。そのうえにパナシュのはいったサワーグラスを置く。そして次の作業にとりかかる。いくら顔馴染みでも会話の邪魔をしない。空気を読む接客である。おれはいう。

「ギャンブルにはビギナーズラックという格言がある。たまたまの勝ちを実力と勘違いするのはよくないということだ。次の一発勝負で失敗したら、どうするんだ?」

「そうならないために情報を集めてるっす。そいつになにを言われたか知らないっすけど、為替マーケットは次の情報を知ってるか知らないかっすよ」
タクマは少しイラついているようだった。目のまえのパナッシュを一息で飲んでしまう。おれも一口くちをつけた。ビールの炭酸が喉を刺激し、レモネードの甘みが口の中に残る。

「ムネさん、最近の都町は活気がなくなってきているの知ってるっすか? うちの店も客足はどんどん減っているっす。週末以外の稼働率は三十パーセントまで落ち込んでるっす」
この店に来る前、マイも不景気を嘆いていた。今はリアルなものが動かない時代だ。おれも毎日この街の夜を見ている。人の流れと馴染みの店の声。全力であれこれと仕掛けをして売りだしても、毎年のように数パーセントずつ売上げが落ち込んでいくのだ。それが十年も二十年も続く。まともに働く人の心を削るような現実。デフレ脱却ができれば、おれもほんとうにいいと思う。たとえどんな手をつかってでも。

「オーナーに店を任されて、最初の三年は景気がよかったっす。でもそこからは売上げはどんどん落ちていって、夏と冬の繁忙期だって、前年比を上回ることはなくなってきてるっす。このままじゃヤバイとオーナーに言われ続けて、今年結果が残せなかったら、店長を変えるといわれてっるす」
弱肉強食の世界はどこにでもある。どの世界も結果を残せなければ、ただの兵隊に成り下がる。替わりはいくらでもいるのだ。タクマは肩をすくめた。

「ムネさんにこんな愚痴いってもしょうがないっすよね。でもおれもこのままじゃ終わる気ないっすけど、もしもの時の為に、次の道を用意しとかないと路頭に迷うことになるっす。でも三千万あれば自分の店が持てるっす」
なるほど。タクマが焦る気もちがよくわかった。でもほおってはおけない。もしタクマにその才能があったとしても勝率百パーセントの人間などこの世にはいない。おれはいった。

「その三千万円を手に入れる方法がFXなのか?」
はあと短いけれど深いため息をつくとタクマはいった。

「そうっす。FXの事を知ったのは半年前で、それからいろいろと勉強もしたっす。デモトレードを何度も繰り返し、そして前回の勝負の時、いままで貯めた三百万円を使って取引をしました。有り金全部かけての勝負っすからね。何日も眠れない夜を過ごしたっす。精神的にもきつかったすけど、それでも七百万円を稼いだっす。でもあと一回・・・・・・、あと一回勝てれば」

「でもその一回の取引に失敗したら、おまえは今の生活には戻れなくなる」
タクマはおれと目をあわせようとはしなかった。前を向いたままいう。

「そうっすね。でもどっちしても来年には今の生活はできなくなってるかもしれないっす」
だんだんと暗い話になってきた。崖っぷちに立たされた男が必死で見つけたビジネス。タクマの心境は藁にもすがる気もちなのだ。別にこれから犯罪を犯すわけではない。自分の金を使って自分の責任で取引をしようとしてる。他人に迷惑をかけることもないし、しくじったとしてもタクマが死ぬわけでもないのだ。それにタクマはまだ若い。人生は戦いの連続なのだ。勉強も仕事も恋愛も、誰もが何かと戦っている。楽な人生など誰にも用意されていない。なにかと戦うことで道を切りひらいていくものだ。たとえどんなことがあっても人生の主役は自分なのだ。それに人生など諦めなければ何度でもやりなおせる。

おれは残りのパナッシュを飲みほすと、サエコにマティーニをふたつ注文した。

「おれはタクマを応援するよ。もしかしたらおまえは天才トレーダーかもしれないしな。さあ、飲みなおそう」
タクマはにっと笑った。

「ムネさんの言葉を借りると・・・・・・」
タクマはそういうと、親指を立てた。

「任せろっす」
二人で笑った。

 

 

頼んだマティーニが届いた。乾杯はしない。同じタイミングで口をつける。非常に辛口のマティーニは、ほとんどジンである。タクマがいう。

「でもうれしいっすね。ムネさんがおれのこと心配してくれるって。ムネさんも少しはFXに興味もったんじゃないっすか?」

「少しな。でもリスクがでかい気がする。それにおれはタクマみたいにそんな余裕な資金もない」

「リスク管理は、自分の裁量次第っすよ。資金っていっても、最低通貨の一万通貨から始めれば元手は五万もかかんないっす。海外口座をつかったら、一万円でもポジションを持つことだってできるっす」

レバレッジの規制は日本口座は二十五倍、海外口座はそれ以上のレバレッジがかけれることは銀行員の荒川から聞いている。おれはふと気になることを聞いてみた。

「そういえばタクマはFXのことはどうやって知ったんだ?」

「うちの常連の小林さんからです」

「小林って、あのグルメレポーターの?」

タクマは頷いた。グルメレポーターは小林のあだ名。本当は中学校の教師をしている。いつも店ではタクマの料理を絶賛して、どこかで聞いたような食の感想を述べている。食べ歩きが四十を過ぎた独身教師の趣味のひとつらしい。でっぷりとした腹は日に日に重さを増している。

「小林さんはFX歴は結構長いみたいなんすけど、今年は調子がいいといってよく店に顔を出してくれるんすよ。羽振りがいいんで、事情を聞いたら、FXで儲けてるらしく、それでおれもいろいろと教えてもらったっす」

「へえ、あの小林が」

いつも店では、食レポとキャストへのセクハラめいた発言しかしないエロ教師だと思っていたから意外だった。

「小林も一発勝負の取引をしているのか?」

「小林さんはおれとは違って、短期売買を頻繁に繰り返すディトレードの手法っすね。一応ノウハウを教えてくれた先生ってとこっす」
グラスを磨いてるサエコが顔を上げた。

「あら、小林さんならもうすぐしたらここに来るわよ。さっき電話あったから」
タクマがはしゃいだ声をだす。

「えー、小林さんくるんだ。ちょうどよかった聞きたいことあったんだ」

「ちょっと事情がありそうだったけどね」

 

 

職業ですべてはわからない。だが、大人の場合そいつは人の在り方の半分以上を事実上決定する。いや、日本では七割以上かもしれない。仕事以外なにもない大人は多いのだが、夜の街には二足のわらじ、二つの顔をもつ奴が時折、存在する。学校の教員を務める小林もこの夜は別の顔を見せていた。

小林がブルーに顔を出したのは、真夜中の一時前だった。

「サエコちゃん、ごめんね。無理いって」
黒のポロシャツにしたは黒のジャージをはいた小林がいった。肥満型の身体にはすこしサイズがちいさいが、ブランドはラルフローレンだった。羽振りがよいとタクマからきいたせいか、不思議なものでいままではまったく興味のなかった小林の服装をチェックしてしまう。サエコが肩をすくめた。

「大変ですね、学校の先生も。生徒さんの親御さんはまだ連絡がつかないのですか?」

「はい、何度も着信は残してるんですが、まだ連絡は」
サエコは小林が来る理由を知っていた。だが、どんなに仲が良い常連でも客の諸事情を漏らすほどまぬけではない。それでも気になるのはタクマが店の店長だからだろう。横に座っていたタクマが立ち上がって、小林に頭をさげる。

「小林さん、こんばんはっす。どうしたんすか、今日は?」

「なんだ、タクマ君もいたのか。こっちのことは気にしないでくれ。今日は飲みにきたわけじゃないんだ・・・・・・」
小林の言葉をさえぎるように後ろから声が聞こえた。

「なんだ、コバセンの行きつけって、ここかよ。ちいさいBarじゃねえかよ」
小林の後ろから若いガキの顔が見えた。小太り、割と日焼けして色が黒い、髪は似合うやつをめったにみないツーブロック。おまけに金髪。

「コバセンじゃない、小林先生だ。おまえは何度言ったらわかるんだ」
ガキは小林の言葉を無視して店内にはいってくる。カーキのチノパンにデニムシャツ。店内をぐるりと一度見まわし、サエコに目をとめる。すたすたと歩いていき、スツールには座らずカウンター越しにサエコに声をかける。

「ねえ、おねえちゃん、かわいいね。いくつ?」
なんだ、このガキは。最近の若い奴は礼儀知らずが多いと聞くが、この世代から、もう終わっているのか。おれが世間知らずのガキに声をかけようとすると、サエコが大人の対応をする。

「坊や。ここはね、本当は子供の来る場所じゃないの。今日はね、小林先生が困っているから坊やを店に入れてあげたのよ。ねえ、先生」
小林が慌ててガキに近づく。

「おい、オガワ、店の人に迷惑をかけるんじゃない。サエコちゃん、本当にごめんね」

「気にしないでください、小林先生。それよりこの後、どうするんですか?」

「とりあえず連絡を待ちます。それまで奥の席借りるね」

「はい、ごゆっくりと」
小林はオガワと呼ばれたガキを奥の席にうながす。やつはきゃしゃな肩をすくめてみせた。

「あーあ、せっかくかわいいバーテンダーさんと仲良くなれるチャンスだったのに。つまんないな」
小林は席につくとなにやらオガワと真剣な表情で語りだした。小林の表情からはなんとなく説教をしているように見えるが、オガワはまるで聞いてない風な態度だ。タクマが我慢できずにサエコにきいてみる。

「ちょっと、なんだよ、あのガキ。どういう事情なんだよ、気になるよ」

「私もよく知らない。小林さんから少しの間だけ、場所を提供してくれないかといわれたの。なんだか親御さんと連絡がとれなくて困ってるらしくて」

「それじゃあ、意味がわかんない。なんで、こんな深夜に中坊つれて、小林さんは歩いてるんだよ」
サエコの表情が硬くなった。

「だから、私もよく知らないって」
おれはちいさい声でタクマにいった。

「タクマ、やめとけ。サエコの性格をよく知ってるだろう。サエコが客の不利になるような情報をしゃべるはずがない。そんなに気になるなら、黙って飲んでろ。この店なら、少し耳をすますだけで、知りたい情報は向こうから飛んでくる」
サエコが低く笑った。

「ムネちゃんにはかなわないな」
タクマも気づいたようだった。Barとは酒に重きを置く場所である。居酒屋とは違い、静かに語りあう空間ができている。素性もしらない隣の客の会話も酒を楽しむ風味となることもある。

「オガワ、なぜ、万引きなんかしたんだ」

「暇つぶし」

「じゃあ、お前は暇つぶしで犯罪を犯すのか?」

「いいじゃん、別に。どうせ、おれの場合、なにしたって、金で解決するだけだから。あのコンビニも盗んだ商品の倍の金支払ってやれば、向こうも納得するだろうし。足りなきゃ納得するだけの金を払ってやるよ」

「自分のした悪事を、なんでも金で解決できると思っているのか?」

「金で解決できない問題なんて、あるの?」
おれとタクマは少し離れた席の小林とオガワの会話に耳をかたむけていた。店内はおれとタクマとサエコ、それに小林とオガワの五人しかいない。店内に流れるピアノジャズのBGMでは会話の壁にはならなかった。小林は少し熱くなっているようだった。いつもはにこにことおちゃらけてる顔も今日は真剣そのものだ。

「金でなんでも解決できるという発想がまず間違っている」

「コバセン、それは貧乏人の発想だよ。下々の話をおれにされてもね」
オガワというガキはどういう立場でものを言ってるのだろうか? よほどの資産家の息子なのだろうか。会話の内容は先生と生徒という枠を超えている。オガワはふっと笑っていう。

「コバセンの年収じゃ、満足な生活ってできないでしょ。だからおれが儲け話を流してやってるじゃん。そのおかげでちょっとは楽な生活できてんでしょ。こんな時だけ、先生面されても、ちっとも響かないよ」
それを言われて小林は神妙な顔をして黙ってしまう。これではどっちが説教を受けているのかわからない。まだ中学生のガキに、学生の見本的な職業である学校教師が金の指南を受けている。ますます状況はわからなくなるばかりだ。
制覇の視界1-10しばらく沈黙が続いたあと、小林のスマホが鳴った。小林は慌てて着信を受けると、いくつかの返事をくり返し、そこにはいない電話の相手に深々と頭を下げながら通話を切った。

「オガワ、お母さんから連絡があった。今日は迎えにこれないそうだから、先生が家まで送っていく」
オガワはふーんと興味のなさそうな返事。小林はサエコのほうに振り返っていう。

「サエコちゃん、今日はごめんね。この埋め合わせは必ずするから、本当に今日はありがとう」

「いいんですよ、小林先生、またのお越しをお待ちしております」
小林はオガワを連れて出口に向かっていく。オガワはサエコに視線を移すと、またカウンター越しに声をかけた。

「サエコちゃん、おれもまた来るからね。その時は電話番号教えてよね。おれの名前はオガワハジメ、よろしくね」
サエコはにっこりとほほ笑むだけで、小林先生またねとオガワの相手をしなかった。二人が店から出て行ったあと、タクマがいう。

「小林先生も大変っすね、あんなガキの相手するのも」
おれはどこかできいたような名前の出先を思い出していた。
『私に為替マーケットを教えてくれた人の言葉です。その人は今も現役で、あなたよりも間違いなく歳は若い。』
銀行員の荒川の言葉だった。億単位の取引をする中学二年生の天才トレーダー、オガワハジメ。おれはよみがえった記憶とともに、手に持っていたマティーニを落とした。